翻訳のヒント[バックナンバー]

2016年6月 翻訳のヒント (和訳) - 訳さないのも訳のうち

 特許翻訳者は、訳漏れをしないよう注意するのが常です。そこばかりにとらわれていると、クレーム以外で情報として要らない原英文の単語(文字)まで全て訳してしまいがちです。その結果、誤訳ではないにせよ、読み手に不自然さを感じさせる訳文となってしまうことがあります。その例として、英文特許明細書中の形容詞の比較級と助動詞を挙げてみます。

1.形容詞の比較級

(英文例)The ceramic material of the present invention exhibits excellent oxidation resistance at higher temperature.

(単語レベルでの訳文)本発明のセラミック材料は、より高温で優れた酸化耐性を示す。

 比較対象を伴わない比較級は、「絶対比較級」と呼ばれ、程度が通常より上である意味を表したいときに、英語、ドイツ語ではよく使われます。上の英文の場合、特許明細書では「従来の使用温度」が対象であることは暗黙の了解事項です。また、「より高温」と言われても、具体的にどの程度高いのか不明なので情報価値はあまりありません。ならば、単に「高温で」と訳出しても問題ないでしょう。もし、PCT国内移行用の翻訳でなく、訳に自由度がある場合、「従来の使用温度よりも高温で」と訳せる可能性もあります。

2.助動詞

(英文例)The intermediate unreacted in this stage will react again with oxygen. As a result, the conversion to the target compound is further enhanced.

(単語レベルでの訳文)この段階で反応していない中間体は酸素と再び反応するであろう。これによって目的化合物への転化率は更に向上する。

 上の訳文では、助動詞 will が「あろう」と訳されています。酸素との反応は時間的に見れば将来起こるので、「あろう」は間違いではありません。但し、未来を意図する表現を特に盛り込まなくても、周囲の状況(文章ではコンテキスト)から未来であることが明らかな場合があります。例えば、最近、鉄道各駅では英語のアナウンスも行われていますが、「特急ときわは8番線から発車いたします」、「次は東京」は、それぞれ "Limited express Tokiwa will depart from Platform No. 8."、"The next station will be Tokyo." と放送されていました。上の英文中の will には、「未反応の中間体はいずれ反応する」というニュアンスを含めたい書き手の意図が表れていますが、上のアナウンス同様、日本語では単に「反応する」でも十分 will の意図が伝わりますし、むしろ腑に落ちる訳文になると思います。

 will 以外でも、助動詞を無理に訳そうとして辞書にある意味のなかから探し出すよりも、訳出しないほうが意図をわかりやすく伝えられる場合もあります。should の訳を無理やり「するのが当然である」としたケースもよく見られます。

 訳漏れはしてはなりませんが、原文の言葉全てを訳に盛り込んだ結果変だと感じたならば、上の観点から訳を見直してみましょう。翻訳は「言葉の置き換え」でなく、「原文の意図の伝達」であることを常に心しましょう。


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